日本の夏、特に八月は、生と死がより濃く感じられる季節だと思う。
広島、長崎の原爆投下、そして終戦記念日。
沖縄戦や東京大空襲など、八月だけに限らないけれど、
たくさんの死を感じる季節。
けれどこうした悲惨な死を感じる一方で、
それでも力強く生きる生もまた感じたり。
個人的なことで言えば、八月はわたしの生まれた月で、亡き祖母もそうだった。
そして、お盆のお墓参りに祭り、神輿、盆踊り、花火。
こうしたものからも生と死を感じるのは、神さまや亡くなった方にまつわるものだからか。
そして、お盆のお墓参りに祭り、神輿、盆踊り、花火。
こうしたものからも生と死を感じるのは、神さまや亡くなった方にまつわるものだからか。
ここ何年かはもう、お盆の時期に帰省していない。お正月もそうだ。
ちょうどコロナ禍ということもあったけれど、仕事や諸々の事情などもあって、
ちょうどコロナ禍ということもあったけれど、仕事や諸々の事情などもあって、
この時期はなかなか帰れないでいる。
小さい頃は、夏のお盆の時期が好きだった。
お墓参りは、ご先祖さまをお参りするというより(お参りもするのだけど)、
お墓参りは、ご先祖さまをお参りするというより(お参りもするのだけど)、
お供え物のお菓子をいただくのが専らの楽しみで、子どもたちはだいたい皆、
袋片手に集落中のお墓をお参りしてまわる。
(当時うちの方ではそういう風習があったのだけど、、今はどうだろ)
そうして袋いっぱいお菓子を抱えて帰ってからは、親戚らが集まっての宴会。
今思えば、母は大変だったと思うのだけど、子どもたちは夜遅くまで遊べるし、
美味しいものが食べられるしと、はしゃいでいたと思う。
翌日の夜には村のお祭り(大演芸会)があって、その翌朝が神輿、夕方には盆踊りと、
翌日の夜には村のお祭り(大演芸会)があって、その翌朝が神輿、夕方には盆踊りと、
それはそれは楽しい夏のひとときだった。
と同時に、家から神社やお墓が近かったこともあるせいか、
じめっとした生温かい空気や線香の匂い、提灯の灯りなど、
やはり死の気配、匂いなんかも混じっていて、
それは子ども心にも感じていたような気がする。
東京にいるとお盆もあまり感じないのだけど、
幼い頃の記憶と、そして今、この季節、過去の大戦に関する映像や記事に触れることで、
この暑さや異常気象とはまた別の、日本の夏を感じている。
natsukinoki
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